神のもとへ光のもとへ

2014年08月14日 08:25

【エペソ4:17-24】
4:17 そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。
4:18 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、
4:19 自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。
4:20 しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。
4:21 あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。

私達は「命(ヨハネ8:12)」を与える「まことの光(ヨハネ1:9)」である方が、「やみの中から光が照りいでよ(2コリント4:6)」と「わたしたちの心を照して(2コリント4:6)」、私達を、キリストを知る者としてくださいました。
神はこの方を信じた私達を「やみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ(使徒行伝26:18)」と「救い出し移して下さ(コロサイ1:13)」いました。
今や私達は「光の子(エペソ5:8)」とされているのです。
これが救いを受けた者、クリスチャンです。
しかし、それを逆戻りするように、「異邦人(エペソ4:17)」、つまりキリスト知らない者、信じない者のように「むなしい(何もない、命もない)心(エペソ4:17)」で生きるのであれば、私達はその光を失い、命を失い、死んだ者のように生きることとなります。

【ルカ11:34-36】
11:34 あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。
11:35 だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。
11:36 もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。

私達の目が神から逸れ、「み言葉(詩篇119:105)」を離れる生き方を続けるのであれば、私達はその内なる命の光を覆い隠し、全身は希望なく、命なく、やみに覆われ、恐れに心覆われ虚しく、歩むべき道を掛け違えた歩みを続けていきます。
それは神の祝福から離れた道、神の支配を離れ、悪魔の支配の中を行く道。もと来た道を戻る道。

【エペソ2:1-3】
2:1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

さらに、恐ろしいことに、その時には「知力は暗くなり(エペソ4:18)」、内側には神の知恵を失って「無知(エペソ4:18)」となり、「心」は「硬化(エペソ4:18)」して、とうとう「無感覚(エペソ4:19)」になっていまう。
神から離れることを何とも思わず、罪を犯し続けても無感覚となってしまうのです。
こうなると、もはや神へ帰る道を忘れて、いつでも神へ帰れると思っていた道すらわからなくなってしまうのです。
私達の良心に働きかける聖霊を退け続けた結果、罪すらわからなくなっている者に、神に悔い改めて立ち返る道は遠く離れてしまっているのです。

【マルコ3:28,29】
3:28 よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
3:29 しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。

これは非常に恐ろしいことです。
それは神から離れていることも、悪魔の支配の元で人生の全てが何をしてものろわれたものとなっていても、神に立ち返るための悔い改めの道を見失ってしまっていても、その一切がわからないのです。
もはやその生活が「ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねてい(エペソ4:19)」ても、ごく普通に毎日を過ごしているようにしか思わない。
少しの良心の呵責もすでに神に立ち返らせるには力なく、いつか帰ればいいと神の永遠の裁きが自らに日々一刻一刻近づいていても、それがどれほど恐ろしいことかすらわからなくなっている。
もはやそれは救われる前より悪い状態なのです。

【2ペテロ2:20-22】
2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
2:22 ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。

あなたの生活は今どうでしょうか。
私はまだ大丈夫と思っていませんか?
少しずつでも神から日々離れていく道を歩いていないでしょうか。
あるいはもう神から離れたあなたを、神がどれほど悲しみご自身の元に引き戻そうと切望されているのかさえも、もはやわからなくなってしまっているでしょうか。
「しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。(エペソ4:20)」と主は今はっきりとそのようなあなたに語りかけています。

【イザヤ55:6-9】
55:6 あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。
55:7 悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。
55:8 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。
55:9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。

神に立ち返れる日は今だけかも知れません。
私達の命は私達自身の力でどうにもできないもの。私達の思いに関わらず、私達は明日の命をもわからない存在なのですから。
だから、「主にお会いすることのできるうちに」主の名を全力で呼び求め、主の元に引き戻してもらいましょう。
主の力は全能、その絶大なる力をもって、そしてご自分の命さえ惜しまずにあなたに与えて下さる神が、あなたを元の光の子としての場所に帰らせて下さいるでしょう。

※今日の聖書の引用箇所を参照できるようまとめました。一緒にご覧下さい。

【ヨハネ8:12】
8:12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。

【ヨハネ1:9-13】
1:9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
1:10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
1:11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
1:13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。

【2コリント4:6】
4:6 「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。

【使徒行伝26:18】
26:18 それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。

【コロサイ1:13,14】
1:13 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。
1:14 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。

【エペソ5:8,9】
5:8 あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさいー
5:9 光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものであるー

【詩篇119:105】
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。