目を離せない真実

2014年03月30日 19:58

【ヨハネ1:29】
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

全ての人の生涯はこの方を知るために存在します。この神の小羊を見るために。
それはイエスキリストを知らず、また信じるに至らない人々においてもそうですが、私達イエスを信じる者達においてもなおさらそうです。
私達のためにほふられた神の小羊たる主イエスキリスト、ここから生涯目を離さないために私達は生きているのです。
全ての生きとし生けるもの、息のある全ての物はこの方に注目しています。
なぜなら、この方にあって全てのものが完成する、全ての終局、結論はこの方にあるのです。
いやすでにその結論は十字架の上で完成したのです。
神の全ての計画は既に十字架の上で価払われた贖いの御業により、完成したのです。
神の子の血のあまりの価高さは、新しい契約、新しい天と新しい地が完成するための全ての代価を払い切ったのです。そして今やその完成した約束を受け取る時を、待ち望むのみにより確実に私達に与えられるのです。
だから、このアルファでありオメガである方、始めであり終わりである方に、全てのものは注目し、その目を離さないのです。

【黙示録5:9-14】
彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。
さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、
大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。
四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。

永遠の天の礼拝の中心で、「ほふられた小羊」にその目は集中し、その大いなる御業の故に、この方に全ての者達の賛美は集中します。
あなたはこの大いなる意味を本当に知っているでしょうか?
いや私達はこの大いなる意味を知るために生きているのです。
ですから、私達の生涯はイエスキリストの十字架のあまりに大きな愛と、その大いなる意味を、生涯を通して知るためにあるのです。
私達の罪が如何に深く、また弱く小さく悩み、あるいは病み、あるいは傷つき、悲しみ、人生にはいろいろな場面があるでしょう。
しかし、私達はそのたびに主イエスの十字架を見上げるとき、その全てを十字架に背負い死につけられた方の姿を見て、全ての重荷は取り去られ、彼のよみがえりを見て、私達は全てのことに勝利をするのです。
私達の生涯に十字架の死とよみがえりが繰り返し現れ、それを私達が繰り返し体験する中で、私達は永遠に渡って世界の中心である、重要なこのことを見つめ、知り続けるのです。
ほふられた小羊という、驚くべき神の御業を。

【ヘブル12:2】
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。

だからこの方から永遠に目を離すことなく、愛する兄弟姉妹、共にこの価値ある道を歩んでいこうではありませんか。