永遠の主権者

2014年10月09日 14:29

【イザヤ14:27】
14:27 万軍の主が定められるとき、だれがそれを取り消すことができるのか。その手を伸ばされるとき、だれがそれを引きもどすことができるのか。

主が立てられた計画を取り消し、引き戻すことができる者は存在しません。
それは誰にでも理解できることでしょう。
この方の計画に逆らい、また妨げ、対抗するのであれば、その者の方がむしろ神の前に打ち砕かれる。そのことを想像すると恐ろしくなります。
聖書にはそのようにして、神に敵対して粉々に打ち砕かれる者はたくさんおり、その末路は悲惨です。
ですから、サタンが裁かれるように、神に敵対しようとわざわざするような、そんな恐れを知らぬクリスチャンはそうはいないでしょう。
しかしこれがこと自分のこととなると以外と気づかないものです。

まさか自分の人生が主の計画に関連しているとは思わないという人も多くあるのではないでしょうか。
私達は各々が自分の人生を生きているという感覚の中から抜け出ることができないため気づいていませんが、実は私達の全時間、全人生、その全てが主のご計画と関連して進んでいるのです。
ですから、自分の人生は自分の思う通りに生きる、あるいは自分の人生、自分の時間は自分のもの、そこに幸せがあると思っているのであれば、私達は知らないうちに自分自身が神の計画を妨げていることになる、これは非常に恐ろしい現実です。

【ローマ8:7,8】
8:7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。
8:8 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。

自然に神に逆らう人の性質は、大それた事に神の計画を妨げ、あるいは自分の生活や人生の思いを主張して、知らぬ間に神に敵対している。
というのが、主に救われた者であっても、そのまま自分のために生きる者達の姿です。

【2コリント5:14,15】
5:14 ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。

しかし、私達が主にあってこれまでの古い生き方を一新し、全く新しい者として新しく生まれのは、まさに自分のために生きるためではなく、主のために生きるために他なりません。
自分のために生きるという古い生き方はすでに死んだものであり、新しい命自体がキリストに生きるためのものなのです。
それは神の壮大な計画のうちに、神に逆らう者でなしに、その計画を成就するために新しく生まれたからです。

【コロサイ1:15-18】
1:15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
1:17 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。
1:18 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。

聖書を一貫するのは、すべての主権は主のものであり、その主権は永遠の主権。あらゆる国も、その君主も、全ての支配も、権威も、主にひれ伏すのです。

【ダニエル7:13,14】
7:13 わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
7:14 彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。

【1コリント15:20-28】
15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
15:21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
15:22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
15:23 ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
15:24 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
15:25 なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
15:26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
15:27 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
15:28 そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

つまり、全時代、全歴史は主のものであり、この方の主権の下、全ては進んで行くのです。神のご計画の下に。
しかし、人は自分の思いを主張します。
それは自らの主権を主張することであり、自らを王することであり、それは支配を、権威を、得ようとする、神に敵対する者の生き方です。
つまりは自らが少しでも良い生活をしようと、支配する者となろうとして、神に敵対するサタンに支配(隷属)させられる生き方であり、この構造こそがこの世の構造です。

【ルカ4:5-8】
4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
4:6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
4:7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
4:8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

残念な話ですが、多くのクリスチャンがこの構造を抜け出すことができず、この世の構造に巻き込まれ、再びやみの支配、サタンの支配に巻き込まれ、主の主権の下に、主と共にこの世を統べ治める者として、この世に勝利した勝利者として歩むことを見失っています。
ですが、私達はその様な者として、世に、サタンに、敗北者のように隷属させられるための新しく生まれたのではないのです。

【コロサイ2:9-15】
2:9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、
2:10 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。彼はすべての支配と権威とのかしらであり、
2:11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
2:12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
2:13 あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。
2:14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

神の計画を妨げるサタンに支配される者として、神の前に立ちはだかる生き方は、永遠の主権は主にあるということを認めないところから始まっています。
つまり、自分の人生は自分のものであり、自分のために生きるのが何が悪いと、自分のために神がいるかのように生きる、誤ったクリスチャンとしての立ち位置から始まっているのです。
もう一度言いますが、神の主権に対抗する者は滅びます。神の計画に逆らう者は打ち砕かれるのです。それはクリスチャンであっても同様です。

【ダニエル4:34,35】
4:34 その主権は永遠の主権、その国は世々かぎりなく、
4:35 地に住む民はすべて無き者のように思われ、天の衆群にも、地に住む民にも、彼はその意のままに事を行われる。だれも彼の手をおさえて「あなたは何をするのか」と言いうる者はない。

誰が主権者であるのか。全時代の全歴史は誰の計画によって、誰のためにあるのか。それを知ることがまずクリスチャンとしての歩みの始めに必要です。

【箴言】
9:10 主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである。
9:11 わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたの命の年は増す。

あなたの人生はあなたのためにあるのではなく、主のためにある。
当たり前ですが、もう一度そこから自分の歩みを見つめてみましょう。

今日も主に喜ばれる一日を歩まれますように。