時代の変革者

2014年12月05日 13:53

【箴言8:12-22】
8:12 知恵であるわたしは悟りをすみかとし、知識と慎みとをもつ。
8:13 主を恐れるとは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、偽りの言葉とを憎む。
8:14 計りごとと、確かな知恵とは、わたしにある、わたしには悟りがあり、わたしには力がある。
8:15 わたしによって、王たる者は世を治め、君たる者は正しい定めを立てる。
8:16 わたしによって、主たる者は支配し、つかさたる者は地を治める。
8:17 わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。
8:18 富と誉とはわたしにあり、すぐれた宝と繁栄もまたそうである。
8:19 わたしの実は金よりも精金よりも良く、わたしの産物は精銀にまさる。
8:20 わたしは正義の道、公正な道筋の中を歩み、
8:21 わたしを愛する者に宝を得させ、またその倉を満ちさせる。
8:22 主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。

多くの知識人や専門家は、私にこそ正しい知恵があり、正しく社会を導けると主張し、互いに批判や討論を繰り返します。
理念を叫んで、良い社会を、良い国をつくることを約束すると、政治家は語り続け、しかし新しい世代に残されるのは夢のある社会ではなく、解決できない山積みにされた問題ばかり。
今さえ良ければのつけは返されぬまま、今日も今だけのために社会は過ぎていきます。
物があることが豊かなことと、経済の豊かさを追い求めた経済社会は企業を中心に人々の生活を支配し、お金が最も信頼できるもののように、お金を信じ、お金のために生きる生活は、人々の愛を冷まし、家庭を崩壊させ、未来の希望である子供達が少ないためにこの国は、放っておいても滅びていく、民族として消滅の危機を迎えています。

何かが違う。何かを掛け違えた。何が足りなかったのか。
その答えをこの御言葉に見るような気がします。

知恵は主イエスキリストそのものです。この方に全ての知恵と知識があり(箴言8:12)ます。
この方こそ全世界を治められる、全地の主権者(ダニエル4:34-37)です。
この方の他にこの地を治めるにふさわしい方はいません。
この方を私の王として、主権者として迎えること、この方の他にこの地を治める方はいないと生きることこそ、主を恐れること(箴言8:13)です。
この方を愛し、この方にない、この方に逆らう者に善はなく、そこに悪が存在します。
この方こそ、光であるから、悪はこの光に来ず、やみに集まるのです。

【ヨハネ3;17-21】
3:17 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
3:18 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
3:19 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
3:20 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。
3:21 しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

だからこそ、神はこの方にある者に知恵を与え、この地を、国を治めさせる(箴言8:14-16、黙示録5:9,10)のです。
やがてこの方は王としてこの地を治めるために再び来られます(黙示録19:11-16,20:4-6)が、それまで主はこの地を、主にある者に御心のままにゆだね、この地を主にあって治めるよう願っておられるのです。
その統治によって与えられる豊かさは物を多く所有し物が溢れているか、あるいは金銀による豊かさのような一部分的な豊かさではありません。
その豊かさは決して人を満たさず、むしろ渇きが溢れ、尽きることのない渇きがその人を覆うのです。
しかし、主にある豊かさとは天国の豊かさであり、全てに豊かであるみちみちたキリストの豊かさ(ヨハネ1:14-18、エペソ1:23)であり、その豊かさを知った者は、その命の心底に至るまで渇きは潤され(ヨハネ7:37,38、黙示録7:15-17,21:6,7)、豊かにされるのです。
それは命の豊かさ、愛の豊かさ、永遠の価値としての豊かさを知り、この地では味わうことのない豊かさをキリストの内に知り、それ以外の一切のものが塵芥に過ぎないものであることを知ってしまう(ピリピ3:7,8)のです。
これが主イエスキリストが彼を信じる者に与えた絶大なる望みと満ち溢れる豊かさであり、この御国の統治の内に、この豊かさの内にこの地を統べ治めることを主は望まれました。
そのために私達教会(クリスチャン)は主により選ばれ、この地に遣わされている(ヨハネ15:16,17)のです。
ここに本当の未来への望みがあるのです。
死を超えるよみがえりの絶大な力(エペソ1:20-23)により、この地を主と共に治めることが私達がこの地で生きている本当の意味なのです。
あなたはまだこの神にある真の知恵を見ていないと思います。
もしもこの内に生きているのであれば、あなたはこの世のことに煩わされ振り回されて生きるのではなく、この世(この地)があなたを通して神に治められるはずだからです。
それがあなたによってこの地にもたらされるリバイバルです。
この知恵によらなければ、もう希望が何一つ見えず滅びに向かっているこの国(この地)を救うことはできないでしょう。
手をこまねき、ただ何となく主に望みを持つだけのクリスチャン(1コリント15:19,20)なら、あなたの愛する大切な人々が滅びていくのを指をくわえて見ている他ありません。
しかしどうか、神が今まさに私達に与えたいと切に願っている神の真の知恵を受け取ってください。
全ての知恵である主イエスそのものがあなたの内から語りかけ見せてくださる(知恵と啓示の霊,エペソ1:17)のでなければ、この驚くばかりの知恵を得られないでしょう。
しかしそれを求めてください。
主は求める者に必ずそれを与えてくださいます。

【エペソ1:17-19】
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、
1:18 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
1:19 また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。

まずあなたから神の変革、リバイバルがこの地に届けられますように。
共に祈りましょう。

※聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【ダニエル4:34-37】
4:34 こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。その主権は永遠の主権、その国は世々かぎりなく、
4:35 地に住む民はすべて無き者のように思われ、天の衆群にも、地に住む民にも、彼はその意のままに事を行われる。だれも彼の手をおさえて「あなたは何をするのか」と言いうる者はない。
4:36 この時わたしの理性は自分に帰り、またわが国の光栄のために、わが尊厳と光輝とが、わたしに帰った。わが大臣、わが貴族らもきて、わたしに求め、わたしは国の上に堅く立って、前にもまさって大いなる者となった。
4:37 そこでわれネブカデネザルは今、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる。

【黙示録5:6-14】
5:6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
5:7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。
5:8 巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。
5:9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
5:10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。
5:11 さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、
5:12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
5:13 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。
5:14 四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。

【黙示録19:11-16】
19:11 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
19:12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
19:13 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
19:14 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
19:15 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
19:16 その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。

【黙示録20:1-6】
20:1 またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。
20:2 彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、
20:3 そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
20:4 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
20:5 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
20:6 この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。

【ヨハネ1:14-18】
1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
1:15 ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。
1:16 わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。
1:17 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
1:18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

【エペソ1:20-23】
1:20 神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、
1:21 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。
1:22 そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。
1:23 この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

【ヨハネ7:37,38】
7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。

【黙示録7:15-17】
7:15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
7:16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
7:17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。

【黙示録21:6,7】
21:6 そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。
21:7 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

【ピリピ3:7-11】
3:7 しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。
3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、
3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。
3:10 すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、
3:11 なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。

【ヨハネ15:16,17】
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
15:17 これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。

【1コリント15:19,20】
15:19 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。