日差しが強くて

2015年05月15日 20:11

ついこの間まで、「寒い。寒い。早く暖かくなって欲しい」と春を願い、やがて春が来て、もう暑さが来たと言う季節になって来ました。
人はわがままなものですね。
自分の都合でいろいろ思いが変わって、自分勝手な事情を振り回し始める。
みんなそのようなものですが、神の思いを置き去りにしてまで、自分の都合を申し上げていたりする自分の姿を見せられると、何と自分は自己中心的な罪深い者であろうかと、悔い改める次第です。
日々の生活、自分の思い、あるいは自分の考えや、自分勝手な正義感を振り回すことがあったり、以外と神よりも自分に埋没して生きている。
そんな生活を気がつかずに続けて、いかに神の深い思いを忘れ去って生きていることでしょうか。

【ヨナ4:5-11】
4:5 そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。
4:6 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
4:7 ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。
4:8 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。
4:9 しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。
4:10 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

神の思いは、私の自己都合で思いがいっぱいのこの瞬間にも、あわれみ深く、神を知らずに滅び行こうとする多くの人々に向けられているのです。
それは私達自身が神を知らず、罪に汚れ、滅びにまっしぐらに進んでいた私達に、ご自身の命の全てを注いでまで愛してくださった、それと何ら変わらぬ同じ思いで、今にも滅びに死に行こうとする者を、このときも刻一刻とあわれんでおられるのです。
私は主の渇きを、主の涙を、はらわた裂かれるほどに痛まれている主の思いを、置き去りにして来たのです。

だから、少しでも主と一つ心で、この思いを担いたいと願うのです。
確かに私達はこれほど小さく弱くはあるのですが。