救霊(魂)への思い

2015年01月25日 19:24

聖書箇所: ルカ24:46-49

今年私達は主から宣教の思いを受け取りました。
主がこの国を勝ち取るということ、その直接的な答えは宣教です。
そしてこの宣教は人の思いでは決して行い続けることはできないものです。
その全てを主の熱情から受け取るのでなければ、その思いを継続することすらできないでしょう。
また主の霊によらないでは誰一人救われる者はなく、何一つできることはないでしょう。
何より、宣教の働きは最も霊的戦いが激しい箇所であり、それは血肉による戦いではない以上、祈りなくして進めることは何一つありません。
つまり、今私達が主から与えられた宣教の思いに答えるには、初代教会の時代、その世界宣教が始まった時と同様に、まず主に熱い祈りをささげ続けることの他に、始めることはできないのです。
主の霊が注がれ、主が絶大なる力を以てこの地を統べ治める、このリバイバルは、それを求める者の命懸けの祈りなくして始まることはないのです。
今私達の祈りは主の渇きを潤し、主の御手を動かすほどに満ちているでしょうか。
今回は主の救霊への思いを我が思いとし、祈りから始まる力強い宣教の働きについて、共に分かち合いたいと思います。


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