救い主を待ち望む者

2014年11月30日 19:13

聖書箇所: ルカ2:14

主の御心は誰を通して現されるでしょうか?
有名な名だたる信仰者でしょうか。世界が誇るような知識人や神学の博士達などでしょうか。経済界、政界、芸能界などで活躍している人達でしょうか。

今週からアドベント(待降節)に入り、主イエスキリストがこの地に降られ、誕生されたことを想い、その喜びを祝うクリスマスを、待ち望む時となりました。
このときは、かつて初臨のキリストを待ち望んだように、再臨のキリストを待ち望む時でもあります。

そこで最初に主がこの地に人の子として誕生された時、この主をお迎えすることがゆるされ、そのために神から御言葉を授かった、つまり預言を受け取った人達はいったいどのような人達だったでしょうか。
それは全て、小さく、弱く、貧しく、希望なき暗い地にいた者達、この世では見向きもされない名もなき者達でした。
誰一人、先に挙げたような、人の目に素晴らしくあるいは目を引くような人などいませんでした。
しかし、だからこそこの地に、およそ人の産まれるにふさわしくないような、暗い、汚い、臭い、家畜小屋という最も低き場所に産まれた、救い主イエスキリストをお迎えすることができたのです。
このように低き場所に産まれた主を名もなき者達が迎え入れることこそ、神にふさわしいこと、神の望まれる御心であったのです。
それは、本当に暗き地に希望の光が照るため、まことの希望の光となるためでした。
ここに立ち会うことがゆるされたのは、真に救い主がこの地に来られることを待ち望むことができた者、つまり主以外に頼る者がなく、希望がない。救い主が来られることのみが希望であり、だからこそそれにすがるしかないからこそ、ただそのことを待ち望むことができた者だったのです。
神の望まれることは、人が最初に罪を犯したアダムとエバの時代から、その心がどこにあるのか?神にその心が帰ることを願い、立ち返る道のりを救い主の預言と共に与えました。
まさに神の悲願は小さき者達への救いの預言として、暗き地に与えられたのです。
この神からの天からの想いと、それに少しでも答える地からの人々の願いが一つとなって、その預言は、救い主がこの地に、御心にかなう小さな人々に迎えられて、成就したのです。
今小さき私達にも同様に主は希望を、預言をもって語りかけられます。
主はこの地に来られると語られる今、主をお迎えするために、この希望の御言葉に心から共に耳を傾けてまいりましょう。

【ルカ2:13-15】
2:13 するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
2:14 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
2:15 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。


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