救いの目的

2015年06月26日 21:10

【テトス3:3-7】
3:3 わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。
3:4 ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、
3:5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。
3:6 この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。
3:7 これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。

パウロがテトスに宛てた短い手紙。
だからこそ、ここにはパウロの信仰に於ける重要とするところがまとめて語られていると言うことができるでしょう。
パウロはここに救いの御業は神からの一方的な愛(あわれみ)によるものであり、神の御怒りの裁きから救われ神の義により義とされるという圧倒的な恵みの御業であるということを。
救いは人間的な改心とは全く異なる神による新生であり、それは救主イエス・キリストにより、天より注がれた聖霊にあってなされた御業であることを。
そして何より、この聖霊が私達を、御国をつぐ者とするために注がれたものであり、私達を導くために永遠のいのちを望ませ続けさせるものであるということを語っています。
そうです。その目的は私達が御国をつぐことにあるのです。
多くのクリスチャンはこれを、死んでも滅びるのではなく、天国に行くことができるということのみの希望として理解しています。
しかし、御言葉はそれだけの意味とは異なります。「永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである(7節)」と語っているのです。
永遠のいのちはすでに始まっています。私達が永遠の中に生きるのは私達がこの肉体を離れてからではなく、救われた今からなのです。

【エペソ1:13,14】
1:13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

この保証という言葉は前金という意味を含み、受け継ぐべき神の国を、先行してその一部分を今受け取り、やがてその全てを受け取ることの約束を、前味わい(前金として)としてを受け取ることを意味します。
つまり、私達はこれを聖霊によって、天国の前味わいという形(エペソ1:13,14)で、祈りの中で、賛美の中で、礼拝の中で、神と交わるあらゆる時間の中で、過去現在未来と流れる時間の流れつまり時間軸を超えて、神の御国にある永遠の中に生き(詩篇84:10)神の国の一部分を受け取るのです。
永遠のいのちを望むということは、今永遠の中に生きると言うこと、
そして永遠の思いの内に、朽ちていくものにではなく永遠に朽ちることのない真に価値あるものを望んで生きることです。(ローマ8:23-25、2コリント4:16-5:5)
神は私達がすでにこの世のものではなくなり(ヨハネ15:19、ピリピ3:20)、この世の価値観では生きられないことを私達に教えて(マタイ9:16,17)下さっています。
では私達はどのように生きればよいというのでしょうか。
だからこそ、主は私達をひとりにしないと、主ご自身が私達の内に聖霊なる神として生きて下さり、永遠に至るまで私達を導いて下さる(ヨハネ14:16-27)のです。
そして主は真理を私達に教え、御言葉の内にとどまって、神の御心に従い生きる、神の国に生きる者としてのふさわしい生き方を私達に語って下さるのです。
こうして私達はその地上の歩みを終えるとき、神の国に生きるにふさわしい者へと成長し(2コリント3:16-18)、神の国をつぎ、天に凱旋するのです。
主は私達に理解を超えた圧倒的な恵みをこの永遠の中に与えて下さっています。
この地上での限られた時間は私達が永遠に生きる神の国に入るための成熟のために用意されたものです。
この地上に煩わされるための時間ではありません。
救われる以前の、世の人と何ら変わらないような、この地上での生き方を続けていると、つまりは世の思い煩い(マルコ4:19)に、あるいは世の誘惑(マルコ4:19)に、サタンの偽り(の言葉や教え)に(マルコ4:15)、自らの頑なさ(マルコ4:17)に、身をゆだね生き続けるのであれば、人生はあっと言う間に無駄に浪費され、何も成熟することなく、実ることなく、天に帰ることとなるでしょう。
そのとき私達に用意されたはずの天の永遠の恵みを得られなければ(1コリント3:10-15)、私達はそれこそ歯がみすることとなる(マタイ25:28-30)でしょう。
人生の目的を見誤ってはなりません。
これはとても重要なことです。
この地上で何かを得ても、永遠に過ごす神の国において何も得ないのあれば、私達は何のために救われてこの地上を歩んだというのでしょうか。

目を覚まして、信仰者としての本当の目的のために生きましょう。
聖霊はそのために今日もあなたを導きます。
聖霊に満たされ、聖霊の導きに従い、真に神の国をつぐ者となりましょう。

【ローマ8:14-18】
8:14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
8:15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
8:16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
8:17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
8:18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【詩篇84:10】
84:10 あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。

【ローマ8:23-25】
8:23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
8:24 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
8:25 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。

【2コリント4:16-5:5】
4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。
5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。
5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。
5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。

【ピリピ3:20】
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

【ヨハネ15:19】
15:19 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。

【マタイ9:16,17】
9:16 だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。
9:17 だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。

【ヨハネ14:16-31】
14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
14:17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
14:18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
14:19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
14:20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
14:21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
14:22 イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。
14:23 イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
14:24 わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。
14:25 これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
14:28 『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
14:29 今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
14:30 わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。
14:31 しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

【2コリント3:16-18】
3:16 しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。
3:17 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。
3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。

【マルコ4:14-20】
4:14 種まきは御言をまくのである。
4:15 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
4:16 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
4:17 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
4:18 また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
4:19 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
4:20 また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

【1コリント3:10-15】
3:10 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
3:11 なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
3:12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
3:13 それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
3:14 もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
3:15 その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。

【マタイ25:28-30】
25:28 さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
25:29 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
25:30 この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。