愛を忘れない

2015年03月12日 12:24

【ヘブル6:10】
6:10 神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。

主は私達の小さな愛を覚えておられます。
私達が主に示した愛ゆえに行った全ての行い、言葉、祈り、ささげもの。
それがどんなに小さな事であったとしても、何一つ忘れずに主は永遠に覚えておられるのです。
主が私達をどれほど愛しているかは、ご自身のまた天地万物の全てを与え尽くしてもという至上の愛であるのに、私達の愛はそれと比べて何と小さいのでしょう。
人の目には無意味にさえ思えるほどの小さな愛を、このような大きな愛の前で、無に等しいものであるのに、主は何一つ忘れないのです。
いや、それほどに私達を愛しているから、どんなに小さな事でも、それが主への真実の思いとしての愛を、主は必ず見出し(例:貧しいやもめのレプタ二つのささげもの、マルコ12:41-44)、そして決して忘れないのです。
主は私達のこの小さな愛をこの上なく喜ばれ、それをきらめく宝石のように尊ばれ、ご自身のものとしてその胸の中心に置かれるのです。

【雅歌4:9-11】
4:9 わが妹、わが花嫁よ、あなたはわたしの心を奪った。あなたはただひと目で、あなたの首飾のひと玉で、わたしの心を奪った。
4:10 わが妹、わが花嫁よ、あなたの愛は、なんと麗しいことであろう。あなたの愛はぶどう酒よりも、あなたの香油のかおりはすべての香料よりも、いかにすぐれていることであろう。
4:11 わが花嫁よ、あなたのくちびるは甘露をしたたらせ、あなたの舌の下には、蜜と乳とがある。あなたの衣のかおりはレバノンのかおりのようだ。

実に主は大いなる愛をもって私達を愛するばかりか、私達がどれほど小さくとも主を真実に心から愛するのを渇き待ち望み、このようにこの世の全ての麗しく尊いものよりも、これ以上に麗しくすぐれたものはないと、私達の愛を喜ばれるのです。
なぜ、これほどに愛してくださるのでしょう。
なぜ、このようなとるに足らない者を、不誠実で真実などなく、愛のないものの愛を、渇き、待ち焦がれ、このような小さな愛に、「あなたはわたしの心を奪った」とまで言われるのでしょうか。

この主の想いをもしも私達が知ってしまったら、私達は主を愛さずにいられなくなってしまいます。
それほどに愛されてしまったら、主から離れられなくなってしまいます。
この愛無しでは生きていけなくなってしまうのです。

【雅歌4:12-15】
4:12 わが妹、わが花嫁は閉じた園、閉じた園、封じた泉のようだ。
4:13 あなたの産み出す物は、もろもろの良き実をもつざくろの園、ヘンナおよびナルド、
4:14 ナルド、さふらん、しょうぶ、肉桂、さまざまの乳香の木、没薬、ろかい、およびすべての尊い香料である。
4:15 あなたは園の泉、生ける水の井、またレバノンから流れ出る川である。

そしてこの方を喜ばせるためだけに、この方のためだけに生き、この方だけを愛する者として(12節「閉じた園」は主への純潔なる愛)生きてしまいます。
人生の全てをこの方の愛の渇きを潤し、この方に少しでも良きものをささげるために、良い実を実らせようと、主のためにいのちを注ぎ流れ溢れさせようと思ってしまうのです。

だから主は私達の小さな愛を何一つ忘れません。
そして、これが私達の小さな信仰の大きな始まりとなるでしょう。

【ガラテヤ5:6】
5:6 尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

あなたの愛を主がどれほど渇き待ち焦がれているか、あなたは知っていますか?

あなたは主を愛するために、新しく生まれてきたのです。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【マルコ12:41-44】
12:41 イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
12:42 ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。
12:43 そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
12:44 みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。

※一コドラントは今の価値では二百円にも満たないものと言えるでしょう。