悔い改めの波

2015年02月08日 19:28

聖書箇所: 歴代志下35:18

主は私達のために十字架にかかってくださいました。
ここに最も尊き最も大きな愛があります。
雅歌8:6,7にあるように、この愛こそ死を超えた強い愛であり、この愛をこの世の何かに換えるのであれば、それは最も愚かなことであり、いたくいやしめられるべきことでしょう。
私達が救われたのも、新しい命を与えられたのも、この地で生きる全ての必要が満たされ恵みに満ちて生きるけとができるのも、すべてこの愛を動機としているのです。
主がこれほどに私達を愛し、また私達がこの方を愛することをゆるされているということは、それだけで私達はすでに全てを受け取っており、最初からこの最も大きな恵みを受けているということとなるのです。
さて私達はこの唯一の愛の前にどのようであったでしょうか?
今回はイスラエル最大のリバイバルというべきヨシア王の過越の祭りを元に、過越の祭りにご自身をそのいけにえの小羊としてささげられた主イエスの十字架に目を向け、この十字架の愛の前に自分自身を照らし出し、悔い改めによるリバイバルの波について、共に分かち合いたいと思います。

【雅歌8:6,7】
8:6 わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。
8:7 愛は大水も消すことができない、洪水もおぼれさせることができない。もし人がその家の財産をことごとく与えて、愛に換えようとするならば、いたくいやしめられるでしょう。


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