思い煩いからの解放

2014年10月24日 12:37

【ピリピ4:6,7】
4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
4:7 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

人が何かに思い煩うとき、その心はその思い煩いに占拠されます。
本来私達の心は主に向けられるためにあり、そこには主を愛するという基本的な心の方向性と共に、私達の内には主からの平安が満ちてきます。
つまり、私達の心を私達自身に目を向け、目を止め、そこから目を離せなくなるとき、この主との間に流れる愛と命の流れは止められてしまうのです。
これが平安が失われる状態、恐れと不安に心が占拠されてしまうのです。
それが思い煩うことであり、主はそこから心を離せなくなった弟子達に「信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6:30,8:26,14:31)と戒め、心が思い煩いに覆われて「信仰を働かせることができない者たちよ。」と語っているのです。
もしも彼らがすぐ側に居る方が神の子、神そのものである方であることを知っていれば、それほど安心なことはないのに、そう思われる方は少なくないでしょう。
そう、その通りなのです。
その方は今、あなたのすぐ側にいるのです。
だから思い煩う必要がないのです。

【1ペテロ5:7(新改訳)】
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

さらに、聖書は主ご自身が私達の心配をしてくださるとまで語っているのです。
何と感謝なことでしょうか。
だから、私達は全てのことに、今生きて側におられる主に「感謝をもって祈と願いとをささげ(ピリピ4:6)」ることができる。
その心がこうして主への感謝と賛美のうちに主に向けられるとき、心は思い煩いから解放され、その心に神の平安が戻るのです。

【ヨハネ14:27】
14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

その平安こそ、神のみが与えることのできる平安。
内に住まわれる聖霊が天国にある平安を私達に与えて下さるのです。

【コロサイ3:1-3】
3:1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
3:2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

この聖霊は、私達はキリストと共にすでに死んだものであり、キリストと共によみがえった私達のいのちは「キリストと共に神のうちに隠されている」のであるから、如何なる者もこれを害することのできないということを、力強く私達に証しします。
そのいのちは天にあるのだと、天国にいのちのある、つまり天国に私自身のある平安を聖霊は教えるのです。
これこそが「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安(ピリピ4:7)」です。
そして、私達の心が主のもとに戻ったとき、この「神の平安」が、それまで偽られ放題、傷つき放題で、恐れと不安に、死の恐怖(ヘブル2:14,15)にさえ捕らえようとしていたものから、私達の心と思いを守ってくれるのです。
いかに感謝しても尽きせない主の大いなる愛。
だから、いかなることでも、このような平安を与えるものは存在しないのです。
世にはこの平安がないからこそ、私達は自分や自分の目が届く、力が及ぶ、範囲には平安を得られる手段や方法、物事は存在しないわけです。
ああ、何と思い煩い、あれこれ考えることは無駄なことでしょうか。

【詩篇138:7,8】
138:7 たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます。
138:8 主はわたしのために、みこころをなしとげられる。主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることはありません。

【詩篇121:1,2】
121:1 わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
121:2 わが助けは、天と地を造られた主から来る。

【ヨハネ16:23,24,26,27】
16:23 よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。
16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。
 [中略]
16:26 その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。
16:27 父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。

さあ、だから目を主に向かって上げて、あなたの思い煩いの一切を主にゆだねて、尽きせない感謝をもって主に祈りましょう。

※聖書の引用箇所を以下にまとめておきました。ご参照下さい。

【マタイ6:30-33】
6:30 ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

【マタイ8:24-26】
8:24 すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25 そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。
8:26 するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。

【マタイ14:28-31】
14:28 するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。
14:29 イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
14:30 しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。
14:31 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。

【ヘブル2:14,15】
2:14 このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、
2:15 死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。