復活の朝のために

2016年03月06日 20:10

聖書箇所: 歴代志14,15章

変わることの神の計画は、聖書の結論として語られている通り、結婚の奥義が成就すること。
花婿キリストと本来花嫁として造られた私達人間(教会)が、その愛によって一つとされることです。
ところが私達は主から離れ罪汚れの中に生きていたところから、どれほど大きな愛によって救われたのでしょう、しかし神から離れてまた世に戻り罪に戻り汚れに自らを染めようとする。
私達が主と一つとなるためには、主が聖であられるから、当然私達も聖でなければならないのに。
だからこそ、主は深い愛を以て私達を聖なるものとしようと、そのようなものとして生きるようにと今もなお惜しみなくその愛を私達に注いでいて下っています。
主は私達を聖とし、主と一つとするために、まさに十字架の上に、その死と共に一つのものとしてくださいました。
その壮絶でありながら、どこまでも深い愛に、贖いの供え物としてご自身をささげられた姿から、私達は目を背けてはなりません。
そしてこの十字架の贖いと愛は永遠に覆うものであり、私達の人生の全てを覆って、私達をきよい聖なる花嫁として、主に迎え入れられるよう、私達を造り変え、備えさせ続けてくださいます。
ですから、この復活祭の時、その愛を真実に受け取り、悔い改めて、備える時とする必要があります。
主はこの聖別ということを重要なこととして、聖書に於いて幾度も私達に語られます。
この聖別とは私達に唯一なものとしてご自身の全てをささげて愛してくださるほどの愛を受けて、神を唯一として生きる。つまり神を唯一寄り頼むものとし、唯一愛し、生きること。
そのとき、主の聖別は私達からさらに溢れ出て個人を聖別するのみではなく、多くの人を神の元に立ち返らせる聖別となります。
主はこの聖別により私達と共に働かれ、先立ち、罪に立ち向かい、圧倒的な勝利で、多くの者達を勝ち取ってくださいます。
まさに私一人の悔い改めが水面に波紋が広がるかのように、人々の中に悔い改めの波がこの地を覆うようになるのです。
そして、この聖別はやがて全世界に先駆けて、携え挙げられ主にまみゆる者となるための、一筋の道でもあります。
この世に心残し、罪に汚れることを常とする者がこの希望に預かることはありません。
だからこそ、私達に与えられている真の過越の生け贄、罪を取り除く小羊たるキリストから目を離さず、その十字架の愛を、この復活祭の時もう一度深く見つめ直し、自らを深く悔い改め聖別する時を持とうではありませんか。


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