御言葉の道を歩む

2015年06月17日 20:11

【詩篇119:25-32】
119:25 わが魂はちりについています。み言葉に従って、わたしを生き返らせてください。
119:26 わたしが自分の歩んだ道を語ったとき、あなたはわたしに答えられました。あなたの定めをわたしに教えてください。
119:27 あなたのさとしの道をわたしにわきまえさせてください。わたしはあなたのくすしきみわざを深く思います。
119:28 わが魂は悲しみによって溶け去ります。み言葉に従って、わたしを強くしてください。
119:29 偽りの道をわたしから遠ざけ、あなたのおきてをねんごろに教えてください。
119:30 わたしは真実の道を選び、あなたのおきてをわたしの前に置きました。
119:31 主よ、わたしはあなたのあかしに堅く従っています。願わくは、わたしをはずかしめないでください。
119:32 あなたがわたしの心を広くされるとき、わたしはあなたの戒めの道を走ります。
※定め、さとし、おきて、あかし、戒めは主の御言葉を示す言葉であり、御言葉のあらゆる側面での現れ方を、言葉を変えて表現されているものと言えるでしょう。

私達はこの世において容易に気落ちし、心の苦しみの中で心があたかも死んでしまうかのような葛藤を経験することがあります。
この世の言葉、この世の基準。この世に生きる私達を取り巻く環境は、そのようなものを中心に回る世界であり、またそれを基に生きる世の人々から受ける言動に大きく影響を受け、あるいは傷つけられ、苦しめられ、悩まされ、辱められ、痛みを負います。
心はひどく落ち込み、生きていることでさえ、地を這うような苦しみにのた打つことがあります。
しかし、そのような中にあっても、主の御言葉は私達を「生き返らせてください(25節)」ます。
主は御言葉を通して私達に親しく語り、慰め、知恵を与え、教えさとし、主の御業のくすしく大いなることを教えて、私達の魂をよみがえらせ、再び立たせてくださいます。
どれほどの深い悲しみが私達の心を浸しても、天地万物を創造された主の御言葉は、いかなる絶望からも神にある真の希望を与え(2コリント4:6)、あらゆる傷を癒し(イザヤ53:4,5)、溢れる主の愛の言葉の内(1コリント1:18)に、私達を「強くしてください(28節)」ます。
世の人々は神の言葉を信じず、世の常識や自らの経験則、見聞きして蓄積した知恵、知識を元に生きますから、それが正しいか誤っているかなど知る由もなく、自らの基準で考え出した道を歩みますが、それは神から聞かず神から離れて見出した道である以上、必ず偽りの道であるのです。
さらにはクリスチャンでさえ、この世の言葉の影響を受け、知らぬ内に神の言葉にない偽りを受け入れ、偽りの道を心の内に作り上げようとしてしまうのです。
しかし、主の御言葉は常に正しき道を光り照らす(詩篇119:105)真理であり、私達を迷わす「偽りの道(29節)」から私達の足を遠ざけ、掛け違えることなく、主の御心の道、正しき道を選ばせ、進ませてくださるのです。
私達は、野放図に生来の思いのまま(肉)に生きようとすることをつい求める、とても小さく、自己中心的で、罪に満ち、滅びに向かうようなものです。
そうした意味で、主の御言葉に従い生きることは、私達にとっては、一見窮屈で喜ばしく思えない道に思えるかも知れません。
けれども、御言葉に生きる道は自ら(肉)の思いに従い罪を犯し続けて、私達を罪の奴隷とする道から解放し、完全に自由とする(ヨハネ8:32)道なのです。

あるいは常識や知識、経験をはるかに超えて大きく高く広い神の御心の前には、御言葉(神の言葉)に従う歩みはクレイジーに見え、とても従うには値しない道に見えるかも知れません。
しかし、だからこそ、この御言葉に従うことは、聖書に語られていることをそのままに体験する、ダイナミックな、人知を超え、全てを超越した道を、主と共に歩むこととなるのです。

それゆえ、私達は主の御言葉に従う時、「心を広くされる(32節)」のであり、またこの御言葉に心を広くされる(列王記上4:29)からこそ、御言葉に従う道を歩むことができるのです。

私達は世の言葉で考え過ぎています。
神の御言葉の視点で物事を見、御言葉を基に考え、御言葉に聞き、御言葉に従い生きる必要があります。
全てのものが御言葉によってでき、この御言葉に基づく信仰に全世界は従うからです。(ヘブル11:1-3,マルコ11:22-24)

「あなたの定めをわたしに教えてください。
あなたのさとしの道をわたしにわきまえさせてください。(26,27節)」
と主に願い、主の御言葉を心底渇き求め、主の御言葉に親しみ、読み続け、主に教えられ続け、語られ続けること、そしてそれに従い生き続けることが、どれほど遠回りに見えても、信仰者として歩むべき道を進むための正しい道、回り道をしない早道と言うことができるでしょう。

それではさあ、今日から聖書を開き、祈り求めて、さらに聖書に親しむ歩みを始めましょう。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【2コリント4:6】
4:6 「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。

【イザヤ53:4,5】
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

【1コリント1:18,23-25】
1:18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
 [中略]
1:23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
1:24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

【詩篇119:105,106】
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。
119:106 わたしはあなたの正しいおきてを守ることを誓い、かつこれを実行しました。

【ヨハネ8:31-36】
8:31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
8:32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。
8:33 そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。
8:34 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
8:35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。
8:36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。

【列王記上4:29】
4:29 神はソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け、また海べの砂原のように広い心を授けられた。

【ヘブル11:1-3】
11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

【マルコ11:22-24】
11:22 イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。
11:23 よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
11:24 そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。