御国に築き上げられるまで

2016年03月13日 20:07

聖書箇所: 黙示録21:9-21

主は私達に目が開くよう、目を覚ますよう、目が見える、目が明るいようにと幾度も語られています。
ここで語られる目を開くとは、霊の目が開かれること、信仰によってのみ見ることのできる目が開くことです。
そしてそれはこの地上のことを見る目ではなく、神を見る目であり、天の御国を見る目を言います。
主は私達に想像を超える程の多くの恵みを与えてくださっていますが、この目が閉じているのであれば、私達はそれらを見ることもなく、何も知らずにこの人生を歩みやがて終えてしまうことでしょう。
多くの人々は地上の生活に心奪われ、この地の豊かさを願い、富の奴隷とされてしまいますが、神は天に豊かに満ち溢れる神の豊かさを受け取って欲しいと願っています。
だからこそ、宝のある所に心があると主が語られるように私達の求めるものを天の(神の)豊さに向け、心を天に置いて、信仰の目が開かれるよう神に渇き求める必要があるでしょう。
同時にその信仰の目は、神にあって神と共に歩む、自らのこの地上での歩むべき道のりを見させてくれます。
それはたとえ死によっても止めることのできない、主イエスが十字架だけを見つめて、ただ真っ直ぐに歩まれた、その御足の跡をたどる歩みです。
多くの人々がこの一見厳しく見える道を避けて、あるいは見ないようにして生きようとしますが、ラザロのよみがえりを見るためには、弟子達は主イエスと共に死ぬ覚悟を持ってエルサレムに近づいたように、私達も主を愛するがゆえ、主が与えたもう豊かさが溢れるがゆえ、私達は死をも超えて神の計画に進むことを願う必要があります。
死を超えそれを願う者のみが神の御業を、よみがえりの絶大な命を現す栄光の御業を、また神の栄光の御姿を見ることができるのです。
そして、また多くの人々をこの栄光ある方の御元に連れて来ることができるのです。
主は私達のこのような地上の歩みが私達の神から受ける永遠の報いとなると語られます。
そしてその報いこそ、私達が栄光の体とされ隅の頭石とつなぎ合わされ、永遠の神の御住まいとされること、永遠の都そのものとして、永遠に神を内にお入れし、神と共に住まい、一つとなること、天国の完成する結婚の奥義が成就し、新天新地としての私達の姿が、神の究極の計画が完成することなのです。
私達はこの朽ちることのない輝き(金銀宝石)に満ちた者となるために、この地上で組み合わされる石として、この地で切り整えられなければなりません。
この地上に心惹かれ、捕らえられるものを切断し、天を仰ぎ見て、いつでも主が来られる日を望みながら、主だけの者として生きる、そのような者としての歩みを全うした時、始めて私達は主から受ける報いを喜んで受け取るべく、天の御国に凱旋することができるでしょう。
その日を仰ぎ望むべく、私達の信仰の目が開かれるよう祈ります。
共に主のこの私達に与えようと溢れるばかりに注がれる主の豊かさを見るために、霊の目が開かれるよう、この主の語りかけにしっかりと耳を傾けていきたいと思います。


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