平和をつくり出す者

2015年08月18日 12:13

【マタイ5:9】
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

私達クリスチャンにとって平和と言うことを考えるならば、私達の取り得るスタンスはこの聖句にあります。
それは私達のうちに住まわれるキリストご自身が最もそれを望まれる方、ご自身が平和そのものである方だからです。

【イザヤ9:6,7】
9:6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
9:7 そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

ですから、私達はいついかなる状況にあろうと、いかなる理由があろうと、平和を乱し、破壊する者であってはなりません。
そのような言葉、いや考えでさえ持つことを、私達の内に住まう、私達の命であるキリストご自身は、悲しまれるからです。
そして、本来私達はこのキリストにあって、そのような性質を持ち合わせていないのです。

【マタイ26:52】
26:52 あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。

それは武器や戦争による平和は存在しない、むしろそれを選択するもの自身が、自らのとった剣によって滅びるという明確な神の真理に基づくものです。
このことが真実であるという事はこれまで繰り返されてきた歴史を見れば、議論を挟む余地がないのではないでしょうか。

では私達の主はその平和をどのようにつくり出されたのでしょうか?
つまり私達にどのように平和をつくり出す者となることを望まれているのでしょうか?
主はご自身の命を与えるほどに愛するという、十字架の愛により、その贖いにより和解をもたらし、平和をつくられました。

【コロサイ1:20】
1:20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

主はご自身が神であるにも関わらず、むしろその神であることをもって平和のために、ご自身の命を差し出すという驚くべき方法によって、圧倒的な平和をつくり出されたのです。
そして主は私達に、今度は私達が平和をつくり出す者となることを望まれ、その役割を託されました。

【2コリント5:18ー21】
5:18 しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。

争うのではなく愛することで、自らの正しさを主張するのでなく傷つけて来る相手をもその存在ごと受け入れ愛することで、ゆるしあえず憎しみ合うのではなく、ゆるすために自らの命をささげることで、人の罪の持つ、相手の命をも奪おうとする戦いの性質に、血を流し血を求める罪の本質に、根本的に打ち勝つことを、神は私達に望まれています。

【マタイ5:38-48】
5:38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:39 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
5:40 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
5:41 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
5:42 求める者には与え、借りようとする者を断るな。
5:43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
5:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
5:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

この言葉を実践することは最も難しいことでしょう。もちろんそれは人の思い、人の力であれば。
しかしこのキリストの命、聖霊が私達の内に生き、この聖霊に満ちて私達が主の御心のままに生きる時、この最も難しく見える御言葉は現実のものとなり、この世にこの地に多大なインパクト与える勝利をもたらすこととなるのです。
使徒行伝における迫害とそれに反して勢いを増して世界宣教へと進んで行く一連の流れはその勝利そのものであり、殊にステパノの殉教の姿とそこで捧げられた祈り、そしてその祈りによりその迫害の只中に居たパウロ(使徒行伝7:54-8:1)が救われていく様は主の十字架の愛に基づく勝利以外の何ものでもありません。

実に私達はそのように、この世の如何なる知恵や論議をも超えて、この地に平和をつくり出す者として、新しく生まれました。
私達の内の新しい命は、争う以外に方法を持たないこの世の法則を根底から覆して、神の性質に基づく神の国の法則(神の愛とゆるし)によって抜本的に平和をつくり出す者へと、私達を導くのです。
私達の平和の祈りと平和をつくる者としての生きる様は、不可能と思える地にも平和をもたらすのです。
だから、平和が消え入ってしまいそうに思え、希望がその光すら見えないように思える時でも、今こそ神の平和のために祈り、神の平和のために生きましょう。
私達の平和をつくり出す真の戦いは、「血肉に対するものではな(エペソ6:12)」いのですから。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【マタイ26:51ー54】
26:51 すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。
26:52 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。
26:53 それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。
26:54 しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。

【コロサイ1:19ー22】
1:19 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、
1:20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。
1:21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。
1:22 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。

【2コリント5:18ー21】
5:18 しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。
5:19 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。
5:20 神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。
5:21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

【使徒行伝7:54-8:1】
7:54 人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
7:55 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
7:56 そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、
7:58 彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
7:59 こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
7:60 そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。

【エペソ6:10-12】
6:10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。