寄り頼む者には

2015年02月12日 12:24

【詩篇18:1-7】
18:1 わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。
18:2 主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。
18:3 わたしはほめまつるべき主に呼ばわって、わたしの敵から救われるのです。
18:4 死の綱は、わたしを取り巻き、滅びの大水は、わたしを襲いました。
18:5 陰府の綱は、わたしを囲み、死のわなは、わたしに立ちむかいました。
18:6 わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、わが神に叫び求めました。主はその宮からわたしの声を聞かれ、主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました。
18:7 そのとき地は揺れ動き、山々の基は震い動きました。主がお怒りになったからです。

主に寄り頼むということを基盤とすることは如何に大きいことでしょうか。
神を味方とするということは何と心強いことでしょう。
つまり、そこにあるのは絶対者である神による、絶対的な守り、絶対的な勝利。人には、いやあらゆる被造物には手を出すことのゆるされない絶対的な領域に私達は入れられ、そこで完全な安息を受け取ることを、それは意味するのです。
そのとき、私達にあだした者を、主ご自身が怒られ、主ご自身が彼らと戦われるのです。
天地万物を創造され、今なおその天地万物をご自身によって保たれている神に敵して、滅びない存在は居ません。
そう、私達を取り巻くあらゆる敵から私達を絶対的に救うことができるのはこの方しかいないのです。

【ローマ8:31】
8:31 もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。

【イザヤ43:13】
43:13 「わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう」。

もしもあなたが恐れているとすれば、この事実を偽られているということです。
恐れが心を覆っているのは、何より神を恐れていないからと言えるでしょう。
恐るべき方がどのような方であるかを知らないでいる。あるいは絶対的存在である神を小さくしようとする偽りに惑わされ、それを心の中でそのままに放置しているに過ぎません。
あくまでそれらは偽りです。

【マタイ10:28】
10:28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

あるいはこの絶対的存在である神が私達をどれほどに愛しているかということを忘れてしまっているのです。
実に、この方、主イエスキリストはご自身の命をも私達に与えるほどに私達を愛しておられるからこそ、私達はこの方の愛によって、あらゆることに、この方の絶対的な勝利をもって、圧倒的な勝ちを得て、さらに余りあるほどなのです。
そしてこの方の力強い完全なる愛は、私達から絶対的に離れることは永遠になく、私達はこの主の愛の中に、永遠に勝利者として生きるのです。

【ローマ8:35-39】
8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
8:36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。
8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

この絶対的勝利者、唯一の神である方の私への愛、十字架を見上げて、どうしてなお恐れる必要があるでしょう。
この十字架こそ、「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか(1コリント15:55)」と全てを勝利に飲み込み、全ての被造物を待ち受ける死すら勝利に飲み込んだもの。
主はこれを全世界の中心で成し遂げ全てに勝利を得られたのであり、その事実こそが私達への愛に他ならないのです。
そうです。主は私を愛する故、全世界の中心で全てのものに絶対的勝利を得てくださったのです。

【1ヨハネ4:9,10,16-18】
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
 [中略]
4:16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
4:17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。
4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。

あなたの目は何を見ているでしょうか。
あなたを恐れさせる現実ですか?問題ですか?敵ですか?
それとも、あなたへの永遠の愛、主イエスキリストの十字架ですか?

もう一度、あなたの見つめている先が何なのかを考えてみてください。
恐れという偽りは、この唯一の真実なる方の愛によって、消え失せるでしょう。
それが主を恐れるという真実です。