天に生きる私達

2014年11月10日 12:10

【ヘブル11:13-16】
11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
11:14 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。
11:15 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。
11:16 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

多くの人はこの地上での生活をなるべく不安定でないように、安心して生活を送れるようにと考えます。
今日と同じ明日を迎えられること、将来の考えられる安定した生活。
人はどうしても目に見える安定を欲しがるということでしょうか。
ですから、そのために働き、そのために学び、そのための人生の計画を立てる。
まさにこの地上で安住の地を得ようと考える。
しかし、聖書はクリスチャンの生活を全く異なる視点から捉えています。
「地上では旅人であり寄留者である(ヘブル11:13)」
確かに主は私達をこの世のものではないと語っています。むしろこの世からは憎まれるのだと。

【ヨハネ15:18,19】
15:18 もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。
15:19 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。

そして、主イエスご自身も捕らえられ十字架にかけられるための裁判を受けるに当たって、ご自身が世のものではなく、だからこそ憎まれているのだということを言い表されています。

【ヨハネ18:36】
18:36 イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。

では主は、そして私達はどこの者なのでしょうか。
それはもちろん、「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。(ピリピ3:20)」とある通り、天の者、神の国の者であるのです。
つまり、「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。(ヘブル11:16)」とある天にあるふるさとたる御国(「新しい天と地」黙示録21:1)、天の都エルサレム(「聖なる都新しいエルサレム」(黙示録21:2))こそが、私達の安住の場所であり、この地上では世に憎まれるからこそ、どこにも安住の地はなく、だからこそ、この天の安住の地をこい求めるのであることを、ここではっきりと語っているのです。
何とむなしいことでしょうか。
神ご自身がこのように私達に、この地上、この世では安住の地がないと語っているのに、それをこの地に求める生活は。
それは砂漠の蜃気楼を求めるようなもの、見つけたと思い追い求めてはそれは消える水のよう、決して渇きをいやすものはそこにはないのです。
ですから私達は、この地上で寄留者であるということを、はっきり自覚する必要があります。
でなければ、私達は世に振り回され、世を求め、世に偽られ、世に捕らえられ、世の奴隷となる生活しか存在しないのです。
何とそのように生き、この地上の望みにばかり気を配り、自らの本来の存在すべき場所を失う兄弟姉妹が多いことでしょうか。
あるいはこの世との妥協をも必要であるかのように語り、また世からの恩恵を受けることを恵みのように語る兄弟姉妹の多いことでしょうか。
しかし、聖書はそのようなことは決して語っていないのです。

【ヤコブ4:4,5】
4:4 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
4:5 それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。

【2ペテロ2:20-22】
2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
2:22 ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。

【1ヨハネ2:15-17】
2:15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
2:17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。

【1コリント7:29-31】
7:29 兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、
7:30 泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、
7:31 世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。

中途半端に世の望みを語り、私達が世に安住を求めるということは、クリスチャンとしての死を意味する程のことであるということをはっきり語り出さないなら、私達の本当の望みにたどり着くことはないでしょう。
なぜ永遠の命を今受けていながら、その喜びを無価値に捨て去るようなことを勧める必要があるでしょうか。
永遠は、神の御国に生きることは、永遠の命を受け取っている今、すでに始まっているのです。
そして、私達は主に救われたそのときに、その十字架により、すでにこの世に対して死んでいるのです。
なぜ、また世の奴隷となる必要があるでしょうか。
なぜ、無意味にも世に対してだけ、よみがえる必要があるでしょうか。

【ガラテヤ6:14】
6:14 この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

よみがえる場所はそこではない、見つめるべき場所、生きるべき場所、求めるべき場所は天にあるのです。
そここそ、主が居られ、主と永遠に交わる場所であり、私達の命そのものがある場所であるのです。

【コロサイ3:1-4】
3:1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
3:2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

そうです。私達が本当に生きるべき場所、主ご自身が居られる場所、天の御国を心から、こい求めるなら、主ご自身に近づくことを真剣に求めるならば、私達の内に住まう天から来た霊は私達を天の御座へと引き上げるでしょう。
その永遠の主との交わりのときこそ、天における礼拝と地における礼拝が一つとなるときなのです。
そのとき私達は時間を超えて、空間を超えて、天において永遠の礼拝を神の前にささげる者となるでしょう。

【黙示録7:9-17】
7:9 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、
7:10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。
7:11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、
7:12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。
7:13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。
7:14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。
7:15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
7:16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
7:17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。

これが本来ある教会の礼拝なのです。
何と素晴らしく、驚くばかりの主の恵みでしょうか。
共に、主をそして天にあるふるさとを求めて、祈ってまいりましょう。

※聖書の引用箇所です。ご参照下さい。

【黙示録21:1,2】
21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
21:2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。