変わらぬ御言葉に立つ

2016年02月14日 20:04

聖書箇所: マルコ4章

主の御言葉はあまりにも私達に近く親しく語りかけられるからと言って、それを好き勝手に扱うことも、受け止めることも、取捨選択することも、聞き流すことも、つまりは私達が主の御言葉を侮って生活することは私達にとって決して得策ではありません。
むしろそれは大いなる損失であると同時に、神の御言葉を侮るという非常に危険な(愚か者の)生き方を選択することとなります。
主は私達にこれほど容易に聖書を手にすることができる環境を与えてくれました。
また私達の内側には生きる神の御言葉であられる方、主イエスが生きて居られ、私達に聖書が如何なる事を語っているのか、つまりは主ご自身が直接親しく語りかけ御言葉を教えてくださいます。
主は私達に教会の交わりの中に、この内に住まわれる主イエスご自身であられる聖霊と、御言葉の交わりを与え、私達が一人ではなく、一つの主の御体としての一致したとても麗しい交わりの内に、私達を生かしてくださっています。
しかしそれは私達の目に於いては毎週変わりなく集う礼拝であったり、手が届くほどにいつもある兄弟姉妹との交わりであったりする、それほど私達には近く馴染み深い日常の中の光景となっているかも知れません。
主がこれほどまでに近く親しく交わってくださる民は私達の他に居ませんが、私達はこのことがどれほど奇跡で得難いものであるか、本来であるならばその選びにも入れられない者であったということを忘れてはなりません。
同時に主がこれほど語りかけくださるのは主の熱望によるのであり、むしろ私達から主を渇き求め、主の御口から出る一つ一つの御言葉を漏らすことなく、渇いた地に水が吸い込むように、受け取らなければ、この御言葉は容易に私達の生活の内で消え失せて行くものなのです。
しかし私達が聞くことに注意し、この御言葉を私達の内にちゃんと根付かせるのであれば、御言葉はその内にある命の力によって自ずから豊かに成長し、花開き、豊かに実るのです。
そして世にある如何なる言葉によるよりも、大きく豊かに成長し、神の御国が豊かにそこに現れ、多くの人々がその影に平安を求めて集まる、豊かな成熟をもたらすものとなるのです。
だからこそ私達はこの神の御言葉を、聞き流しあるいは聞きたいことだけを自ら取捨選択してサタンに奪われることなく、自らの頑なさに心の表層で軽薄に受け止めるだけでなく、世の煩いに富の誘惑に心覆われるのではなく、すべて余計な物を取り払い掘り起こし現れた岩盤の上に家を建てるように、この御言葉を深く受け入れ、この御言葉の中に生き、この御言葉を行う者として生きるということを、心に深く留め置きましょう。
私達の恵みは決してごく当たり前のものとして侮るべきものではなく、主の御言葉が永遠に変わることなく、私達の思いをはるかに越えて、完全に成就し、また主の圧倒的な栄光を現すものであることを忘れずに、今日この御言葉に、心して耳を傾けていきたいと思います。


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