主を喜ばせる忠実な者

2014年12月18日 12:56

【ルカ16:10】
16:10 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。

神が私達に任せてくださることは、つまり私達が日々の生活の中で、主にあってすべきことは大きく二つあります。
それは大事と小事。
私達は時としてこれを見誤り大きな誤解をしたまま信仰生活を歩み続けることもありますが、大きなかけ違いとならないためにこのことをもう一度見つめていきたいと思います。
つまり、大事とは主ご自身のご計画。
主の計画は壮大で、歴史を貫き、いや歴史自体を造られる(History[歴史]=His[神の]story[話(言葉)])のは主ですから、その世界、時代を超えた主の計画はあまりにも大きなものです。
さらに言うのであれば、主の思いには奥義として、創造の始めから、現在に至るまで大きな一つの計画が存在しています。

【エペソ1:8-12】
1:8 神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、
1:9 御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。
1:10 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。
1:11 わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。
1:12 それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。

私達はそのような方に触れ、そのような方と共に生き、またこの方の御心のままに人生を歩んで行く者です。
私達はそのためにこの地に造られました。
つまり、この主の御心を全く知らずに信仰者として歩んで行くことはできません。
ですから、私達は聖書を読み、御言葉から主の御心に耳を傾けます。
それがいかに大いなる計画であれ、主が御言葉を解き明かして、私達に直接語りかけられるのであれば、それは、あらゆる目に見える現実を超えて、真実であり、それは必ず成ります。(イザヤ55:8-11)
また、私達はこの方の御心が成るように祈ります。
確かに私達は小さな吹けば飛ぶような存在ですが、この方の最も必要としているときに、この方と共に、この方のために、祈ることができます。(マタイ26:37-44)
そして、祈りにおいては私達には制限がなく、祈りによって私達は世界中に出て行き、またあらゆる時代を超えて祈ることがゆるされています。
こうして、御言葉を読み、受け入れ、また主の御心を祈ることにおいて、私達は主の大事に従うことができます。

しかし同時に私達は行いにおいては全く大きなことはできません。
神の前に私達はとても力が小さく、その能力はあまりにありません。そしてそのことは主ご自身がよくご存知です。
ですから、主が私達に具体的に何かを行いにおいて望まれるとき、そのことは誰にでもできるような、非常に小さいこととなります。
誰もできないような、あるいは成功するか否かあまりに可能性の低いようなことを完全に成し遂げよなどということを私達にお求めになりません。(紅海を前にエジプト兵に挟まれたモーセ、出エジプト14:16。エリコ陥落、ミデアン軍と戦うギデオン、ヨシュア記6:2-5。士師記7:15-18)
聖書において全て大きな業に見える全てのことは神により成されたものであり、人によるものは何一つなく、それは人がほめたたえられることがないためであり、主がそれらの人々にせよと語られた内容自体は人間の生来持ち得る能力的にはきわめて小さな事に過ぎないのです。
つまり、誰にでもできるような小さな事、小事を主は人に命じられる。
しかし、それは人の目で見て、また思う部分であれば、難しく見える、つまりは信仰をもって行わなければできないような、でも簡単な行為をせよと神は語られる。
それは言うなれば、信仰による小さなささげ物(サムエル上15:22,23)としての行いをもって、私達が主に従うことを望まれるということなのです。
そのとき、主はそこに大いなる御業を成され、その圧倒的な御業は神のみにより成されたと、人々は神をほめたたえます。

また私達の信仰は行いを伴います。(ヤコブ2:14-26)
それは主を喜ばせるために私達は生きている(ローマ14:6-8)ためです。
ですから、私達の生活は主を喜ばせるために重ねられた小事により、できている。全ての成すべきことは、主が何を喜ばれるかにより選択され、その一つ一つの小事としての行いが信仰生活となっているはずなのです。
決して自分の思い、自分の満足、喜びのために生きる毎日であってはなりません。
そう言う意味に置いては、先に語った聖書(御言葉)を読み、祈るという行いも、とても小さな行い(小事)でありますが、主はこれらの小事をもって大事をなされ、主の大いなるご計画を成し遂げ、進められるのです。
今日の御言葉にある通り、私達が小事に忠実であれば、大事にも忠実な者となるのです。
主のご計画、語られる思いはあまりに大きく、時に私達に望まれることは人には到底できず、途方に暮れるような壮大なスケールなことに召されることもあるでしょう。
今私たちに主が語られるこの国を勝ち取れと語られることなどはそのようなものでしょうが、しかしこのように全ては私達の小さな行い、小事に忠実であることが重ねられて進んでいくのです。大いなる御業は全て主ご自身が成されるからこそ、全ては主の栄光となる(1コリント1:26-31)のです。
そして主はこの小事に忠実であった者に、後の日に大いなる報いをもって応えられ(ルカ19:15-17)、主がこの地にやがて来られる日には主と共にこの地を治める者となる(ダニエル7:26,27)よう望まれるのです。
今の私達の小さな歩み(小事)は永遠の歩み(大事)へとつながっています。

今日の一日も主にあって大切に歩んで参りましょう。
共に祈りましょう。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【イザヤ55:8-11】
55:8 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。
55:9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
55:10 天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。
55:11 このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。

【マタイ26:37-44】
26:36 それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
26:37 そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
26:38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
26:39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
26:40 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
26:41 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
26:42 また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
26:43 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
26:44 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。

【ヨシュア記6:2-5】
6:2 主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。
6:3 あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。
6:4 七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。
6:5 そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞える時、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。そうすれば、町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」。

【出エジプト14:16】
14:16 あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい。

【士師記7:15-18】
7:15 ギデオンは夢の物語とその解き明かしとを聞いたので、礼拝し、イスラエルの陣営に帰り、そして言った、「立てよ、主はミデアンの軍勢をあなたがたの手にわたされる」。
7:16 そして彼は三百人を三組に分け、手に手にラッパと、からつぼとを取らせ、つぼの中にたいまつをともさせ、
7:17 彼らに言った、「わたしを見て、わたしのするようにしなさい。わたしが敵陣のはずれに達したとき、あなたがたもわたしのするようにしなさい。
7:18 わたしと共におる者がみなラッパを吹くと、あなたがたもまたすべての陣営の四方でラッパを吹き、『主のためだ、ギデオンのためだ』と言いなさい」。

【サムエル上15:22,23】
15:22 サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

【ヤコブ2:14-26】
2:14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
2:15 ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、
2:16 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
2:17 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
2:18 しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。
2:19 あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。
2:20 ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
2:25 同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。
2:26 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

【ローマ14:6-8】
14:6 日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。
14:7 すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
14:8 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

【1コリント1:26-31】
1:26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
1:27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
1:28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
1:29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
1:30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
1:31 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

【ルカ19:12-27】
19:12 それで言われた、「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。
19:13 そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』。
19:14 ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。
19:15 さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。
19:16 最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。
19:17 主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。
19:18 次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。
19:19 そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。
19:20 それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。
19:21 あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。
19:22 彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。
19:23 では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。
19:24 そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』と言った。
19:25 彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。
19:26 『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。
19:27 しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ』」。

【ダニエル7:21-27】
7:21 わたしが見ていると、この角は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、
7:22 ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。
7:23 彼はこう言った、『第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。
7:24 十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。
7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
7:26 しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ、
7:27 国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって、諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う』。