主の日に備える

2015年01月11日 19:11

聖書箇所: イザヤ52:7

主が来られるということは二つの意味を持ちます。
主の救いと主の裁き。
このことが主が来られるということにより、同時にそしてはっきりと明らかにされます。
そこに中庸は存在しません。主に従うか、主を退けるか。
なぜなら、主はこの地にご自身の王座を置かれるため、つまりご自身の正と義によりこの地を統べ治めるためにこの地に来られるからです。
多くの人はリバイバルということを自らに都合の良い側面だけで捉えがちであり、ただ教会に人が増えていくということだけを思いがちです。
しかし、そこには主の明確なご計画が存在し、また私達が軽薄に踏み込むことのできない、主の厳粛な深い御思いが存在しているのです。
では私達はその主の日に備えて何をすべきなのかなのでしょうか。
今回は小預言書を通して、「主の日」、「その日」などとして語られる、主が来られる日について見つめながら、今年私達に語られている、その日を迎えるために備えよと語られる主の御心に耳を傾けていきたいと思います。


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