主に近づく人生

2014年10月21日 12:50

【ルカ19:5,6】
19:5 イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。
19:6 そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。

私達は何と高慢なことでしょう。神に向き合うとき、高いところから、眺めるように、見下ろすように、主と直接交わるでもない、ちょうどいい距離をおいて、ちょうどいい位置で神との関係を持とうとします。
それは、自らが何者であるにしても、人としてのアイデンティティーを何一つ下ろすことなく、自分が何かであるままで、主に向き合おうとするからです。
もしも、主イエスと直接顔と顔を向き合わせる交わりを持つのであれば、主イエスは神そのものであられる方(ヨハネ1:18,コロサイ2:9-10)ですから、その圧倒的な臨在の前にひれ伏さざるを得ないからです。
それは自分の生きてきたこれまでを全てを下ろされ、ただ一人の小さい弱い人であること、風が吹けば消え去るはかない命を持つ一被造物(イザヤ40:6-8)に過ぎないことが、神の前でははっきりと現わされてしまうからです。
つまり神の前に自分の都合を振りかざし、自分の生活にいかに良いことをしてくれるだろうと、神を利用するために近づくことなどはできないのです。
だから、逆に自分を神の前に保つために、このような高い場所に自分を置いてしまう。
主イエスが「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。(ルカ19:5)」というように声をかけられたのは、この都合の良い関係を打ち壊すためでした。
そして、まず高いところから下りてくるように言われたのです。
その言葉は決して厳しく戒めるように言われたのではありませんでした。
ザアカイとやさしく親しく名を呼び、何も持たない一人の人としてのザアカイに、神の子は向かい合ってくださったのです。
さらに「きょう、あなたの家に泊まることにしているから(ルカ19:5)」と、最も親しい交わりをご自身から求められたのです。
そのとき、ザアカイの人生の全てが変わったのです。
神の子との交わり、その臨在に、その命に直接触れた者だけが、このように人生を変えることができる。
主に喜ばれる者として主のために生きるため、古きを捨て去り、新しい命によって、新しく生きるのです(ローマ12:2,エペソ4:22-24)。

【1コリント5:17】
5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

それは救われたときの最初の一回限りの話ではありません。
常に私達は自分の都合で神の前にこのように高慢な位置で向き合おうとするのですが、そのたびに主の招きに答え近づくのであれば、まずその高きから下ろされ、ただ一人の人、一被造物として、裸のまま、神に向き合い、親しく交わり、そのたびに自らの歩みを一新する。そのような日々を私達は生きる必要があるのです。

【2コリント4:16】
4:16 たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

【イザヤ40:31】
40:31 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

でなければ、一生主を高見の見物しながら、主とは関係のない、だからこそ、主を親しく知ることも、新しい命の恵みにあずかることも、救いの喜びに生き続けることも、主が私達に本来用意して下さった絶大なる祝福を何も受け取ることもなく、およそクリスチャンとして生まれた意味の何もない人生を歩むこととなるでしょう。

【ヤコブ4:8】
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。

今あなたは主の前にどのような位置にいるでしょうか。
そんなあなたに主はあなたの名を呼んで、まず近づくように、親しく交わることを望んで招かれています。
さあ、その高い場所から今下りて主のもとに近づきましょう。
そこからあなたの新しい今日が始まるのですから。

※今日の聖書箇所です。メッセージと一緒にご参照ください。

【イザヤ40:6-8】
40:6 「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。
40:7 主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。
40:8 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。

【ヨハネ1:18】
1:18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

【コロサイ2:9-11】
2:9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、
2:10 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。彼はすべての支配と権威とのかしらであり、
2:11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。

【1コリント5:17】
5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

【ローマ12:2】
12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

【エペソ4:22-24】
4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、
4:23 心の深みまで新たにされて、
4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

【ルカ】
19:1 さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
19:2 ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
19:3 彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
19:4 それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。
19:5 イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。
19:6 そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
19:7 人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。
19:8 ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。
19:9 イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。
19:10 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。