主に届くとりなし

2014年08月17日 20:26

聖書箇所: ダニエル9章

今主は【ルカ11:47-51】の御言葉をもって、私達に「世の初めから流されてきたすべての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。(50節)」と語ります。
この国は歴史上、これまであまりにも多くの聖徒達の血を流してきました。
それにも関わらず、この国はその血のゆえに建てられた今平和を自ら剣に変えようとし、またさらに多くの滅びに向かう重要な選択を今の戦後70年を間近に控えた時期に取ろうとしています。
しかし、この国が滅びに向かっていることの警告は、すでに主によって(今なお続く震災と汚染被害により)クリスチャン全体に語られていることでした。
この国が今の時代に血の責任を問われても自らは関係なく、変わらない毎日を、主にあって恵みを求めて生きることに没頭するのであれば、確かにこの箇所で律法学者達を主イエスが責めておられるように、私達自身も責められることでしょう。
なぜなら、罪を犯し続けるこの国の、罪人達の血の責任を、私達は負っている(エゼキエル3章、33章)からです。
そして、それはこの罪人達のためへの
とりなしの祈りと共に、罪から離れ滅びから救われるよう警告を発し続けなければならなかったからです。
まだ主イエスの名は、そして福音はこの国の多くの人々には届いておらず、しかしこの国は自らの選択により滅びに近づこうとしているのです。

今、この血の責任に対して私達ができることは何でしょうか。
ただ一つ主の心を動かす、主の心に届く何かがあるのだとすれば、それはこの国の破れ口に私達が立ち、その犯した罪のために自らを悩ませ、主にとりなしを命懸けですることではないでしょうか。
今回はダニエルのささげたとりなしの祈りと併せ、同様に聖書の中で主にささげられた多くのとりなしの祈り(アブラハム、モーセ、ネヘミヤ、エレミヤの祈り)に注目し、主の心に届くとりなしの祈りについて共に分かち合い、また終戦記念の時期にあって共に平和を祈りたいと思います。


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