リバイバルの望み

2015年02月01日 19:32

聖書箇所: ヤコブ5:7-11

リバイバルの起こるその日どのようなことが起こるのか。その構造などはこれまでもお話してきました。
そこでは主に従う者と主に逆らう者の姿が、クリスチャンでさえも明確になってしまう。
その接点は霊的戦いの最前線となる。
確かにこの戦いは主に従う者達にとっても、ある種試練となることでしょう。
詩篇18篇は敵に命を狙われる日々において、主をわが岩、わが城、私を救う者・・・と主に寄り頼む者に、主ご自身が立ち上がり、敵と戦われる様を、そして主を求めた者にはその反対に主ご自身の元に引き寄せられ、その御腕の中に、その絶対的安全な場所に私達を入れてくださる。
苦しみのとき、試練(訓練)のとき、私達は主の御名しか頼るものはなく、この名を呼び求める者を、主は引き寄せ天の御国に入れてくださるのです。
まさに、これこそ主が私達に与えられたいと願われる永遠に価値あるもの、永遠の恵み、神の国の豊かさ、この地上では決して得ることのできない平安。
主は試練の中で地上に生きている私達をこの天の御国に先駆けて入れてくださるという想像を超えた恵みを用意してくださっているのです。
何と言うことでしょうか。このような望みに私達を導くため、試練はただ試練として存在するのではなく、意味をもって存在するのです。
そしてこの御国の中に平安に居るように私達はリバイバルの中心に神と共に居ながら、その周囲で主は私達より先に進み戦われ、主を求める者を救って御許に引き寄せ、あるいは主に逆らう者達を裁かれる。
神の御国がこの地上に、つまりは主が私達教会の上に王となられ、この地を統べ治めるために来られる。
そのとき地上には悔い改めの波が起こり、この地の全てのものが癒される。
これがリバイバルの望みなのです。
主はこのようにこの地に来られる日は近いと語られ、私達にこのリバイバルのために祈れと強く強く語られています。
今回は、この私達に与えられている望みについて共に分かち合いたいと思います。


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