よみがえりの王

2016年03月27日 20:11

聖書箇所:コロサイ1:15-22

主はすべてのものを私達に与え、すべてのものを主と共に喜び、また主と共に統べ治めるという特別な特権を与えてくださいました。
それは最初に人がこの地に造られた時からの約束です。
でも私達にそれらのものが与えられていても、主を知らなければそれは何の意味もなしません。
天地万物を創造され、この方によって万物は保たれている、この方にために、この方によって、この方にあって造られ保たれているものを、つまりは全地の主権者であり、統べ治める真の王である方を知らなくては、これらのものがどれほど素晴らしくても何の意味もないのです。
【コロサイ1:15-22】
そして、この方と天にあるもの地にあるもの、すべてのものが一つとなるという究極の完成が主の計画(聖書)の結論として、新天新地の完成、花婿キリストとキリストの花嫁(教会)との結婚という形で語られています。
そこには神の愛が満ちており、すべてが美しく、究極の秩序をもってすべてが麗しく一つとなって存在しており、そこには神の義が満ち、命が満ちているのです。
そこにはもはややみはなく、神ご自身が光となって、光のみしか存在しません。
私達は驚くべきことに、この神の御国を受け継ぐことが約束され、またこの御国の中に今先駆けて生きる者とされています。
私達は救われた時、私達は何者でもなかったのに、キリストの十字架の死と一つとされて死に、キリストと共によみがえり、そのことによってキリストと同等の神の子とされ、やみから光へ、サタンの支配から神の支配の元に、死の支配から命の支配へと、罪の奴隷から義の奴隷へと、生まれ変わったのです。
【コロサイ1:11-14,使徒行伝26:18,ローマ5:12-21】
生まれながらの私達、つまりかつての私達は、その生まれながらに持つ罪により、この神から離れ、一人で生きていく以外に道を知らないもの、そのことによってすべてのものは罪に汚れ、死の毒に冒され、やみの中に飲み込まれ、死の恐怖と絶望の内に、生きていた者でしたが、主はその十字架の死によりそこから解放し、永遠の命を与え、これほどの驚くべき特権を与え、神の性質を持つ命によって私達を生まれ変わらせ、神の国の住人としてくださり、この神の究極の計画に預かるものとさせてくださったのです。
【黙示録21章,22:1-5,エペソ2:1-6】
実に全地を治める真の王は、ご自身卑しめられ辱められ、むち打たれ、傷だらけとなり、煌びやかな王冠ではなく茨の冠をつけられ、十字架を負われ、王座としてふさわしい場所ではなく、十字架の釘づけられて高きにかかげられ、私達に命を与え、愛を示してくださいました。
【ヨハネ19:1-5,14,15】
そのことよって私達は愛の内に、命の支配の中に入れられ、真の王イエスの統治の内に、神の御国の中に入れられたのです。
これが救いであり、よみがえりであり、神の御国に今この地で生きるということ。救われた者だからこそ、この神の御国の統治がこの地に来ている告げ知らせる者となったのです。
【マルコ1:15】
これほどの恵みを、愛を、私達はどのように受け取り、また主に答えるでしょうか。
今回は主の復活祭を共に喜びつつ、主のよみがえりとは何か、私達はそれによってどのように生きる者とされたのかということを共に分かち合いたいと思います。

※今回は特別集会となりましたので、メッセージのダウンロードはございません。