あなたへのよきおとずれ

2014年12月19日 12:13

【イザヤ40:9-11】
40:9 よきおとずれをシオンに伝える者よ、高い山にのぼれ。よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、強く声をあげよ、声をあげて恐れるな。ユダのもろもろの町に言え、「あなたがたの神を見よ」と。
40:10 見よ、主なる神は大能をもってこられ、その腕は世を治める。見よ、その報いは主と共にあり、そのはたらきの報いは、そのみ前にある。
40:11 主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

今この時代に主を知っている者は誰でしょうか?
一体私達の他に誰が主に触れるように、また見たように聞いたように、主と本当に交わったかのように、語ることができる者があるでしょうか?
この方の威光について語ることができる者は誰でしょうか?
神が絶大なる力を持って、この地に来られると力強く語れるのは、この神の国の国籍を持ち、その住人として、永遠の中で神の国の味わいを知っている私達の他ないではありませんか。
この地の人は、この世の君(悪魔)に従い、この地の中で生きるということ以外のことを全く知らないのです。
それはどこを探しても闇しかなく、何をしても罪しか存在しません。
絶望が全地を覆っているのに、探している光は、私達が光の子であるからこそ、私達の内に住まうまことの命の光から、この世を照らそうとしているのです。
どうしてこの光を覆い隠す必要があるでしょうか。
世の人々はどれほど自分で善いと思うことをしても、神が善であられる以上、その全てに善は存在せず、残念ながら神を知らずして最善にたどり着くことなく、全ては掛け違えて、罪にしかなりません。
そんな絶望的な罪の歩みから、救いについて語り、救い主の元に導くことのできるのは私達以外に誰もいません。
どうして、この救い主を、この神を見よと叫ばないでいられるでしょうか。

【ローマ10:8-17】
10:8 では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
10:14 しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。
10:15 つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。
10:16 しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。
10:17 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。

ですから、私達はすべからく主の死と復活の証人なのです。
そして、この福音を止めてはならないと、述べ伝えるように私達に強く願われているのは、私達を愛し尽くして、私達にご自身の命を惜しまずに与えてくださった方、愛する主イエスキリストに他なりません。
どうして、この愛を止めておくことができるでしょうか。
この愛こそ、神であり、命であるからこそ、人を生かすのです。
そして、この命が私達の内に生きている。
この命を止めるのであれば、世界中誰にもこの命は届かず、誰も生かされず、滅びに突き進んでいくのです。
世界があなたの語り出す言葉を待っているのです。ここにしか希望はないのです。

だから、私達は主がこの地に来られることを語って、主のために前備えをする者として、主に遣わされたのです。バプテスマのヨハネが、初臨のキリストの前備えとなったように。
私達の本当の使命を忘れてしまってはいないでしょうか?

【イザヤ40:3-8】
40:3 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。
40:5 こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」。
40:6 声が聞える、「呼ばわれ」。わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。
40:7 主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。
40:8 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。

あなたの大切な人も、本当の希望を知ることがなければ、その人生は闇の中にしかありません。
そして、その闇は永遠の滅びに続く道のりをも隠し、どこに行くのかわからないまま、全ての人に一度定められている死の、その時に向かって歩んでいるのです。
いや、罪が満ち時が熟しているこの国の滅びが近いということが、絵空事ではなく現実となりつつあるということを、この時代に生きるあなた自身が、一番肌で知っているのではないでしょうか?
滅びが近いと知るならば、主が来られる時は近づいているのです。

【イザヤ6:8】
6:8 わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。

これから、世界中が主イエスの降誕を記念し祝うクリスマスの時を迎えます。
世はこのクリスマスの本当の意味を知りません。虚しく悦び、サンタクロースがプレゼントを運んでくる幸せの日としか思いもせず、その人生を全く新たにし、死から永遠の命へと、暗闇から光へと、悪魔の支配から主イエスキリストの支配へと、滅びの子から神の子へと、瞬時に変えてしまうような、神からの絶大な、救いという本当のプレゼントを受け取っていないし、そのことを知りもしないのです。
この時は誰もが知る時だからこそ、一つの大きな宣教の機会となることでしょう。

あなたの愛する人にも救い主は来ているのです。

一人でも多くの人々が救われるように、また私達自身に語るべき言葉が与えられるよう、今共に祈りましょう。