礼拝メッセージ

私達の内に主は来られる

2015年08月16日 19:44
聖書箇所: 黙示録22:10-20 聖書の最後の書を読めばわかるのですが、神はそのご計画の結論を結婚の奥義という神と人が永遠に一つに友に住まう天国が完成する姿に置きました。 そしてその麗しい姿を最後に描くと同時に、私達がこの日のために主の名を「来たりませ」と呼ぶことを命じられました。 それは一日も早く神のこのご計画が進み、完成することを望んで生きるようということと同時に、主ご自身がこの呼びかけに答え、この計画に先んじて来続けてくださることが、つまりは私達の内に主が住まわる恵みが日々明らかに私達の内に現されるよう、主の名を呼ぶことを望んでおられるのです。 主は花嫁の呼ぶ声を聞くことを望み、

教会を貫く聖霊の恵み

2015年08月09日 21:03
聖書箇所: ヨハネ20:20ー23 主は私達にご自身の名を呼べと語られています。 それは何より主ご自身が私達の中に臨まれるためです。 主は聖霊なる神として私達のうちに住まい、そしてこの聖霊によって教会を生み出されました。 この聖霊の恵み無しに教会の歴史を語ることができないは使徒行伝の中の教会の姿を見るのであれば明らかでしょう。 そしてこの使徒行伝の神の力強い御業による神の御心を完成する働きは未だ完結することなく現在において私達教会に引き継がれているのです。 長い歴史において、人の知恵や人の力は神のこの全能の力溢れる恵みについて、人の理解の中に収めようとし、教会の聖霊による力強い働きはとど

主の名を呼ぶために

2015年08月02日 21:02
聖書箇所:列王記下18:19ー19:7 人は何も問題や脅威がない時には、特別に神を必要と感じないのかも知れません。 しかし一度自らの力ではどうにもならないような問題に遭遇すると初めて主の名を呼び救いを求め始める。 イスラエルの歴史においても、そのようなことは繰り返され、主の恵みの豊かなるがゆえに主から心離れ、主から離れて罪が満ちやがてのろいが地に満ち滅びへと向かう中で主の名を呼び始める。 我が国においても同様に主を退け続け主を受け入れないがゆえに積み重なる罪が満ちてまさに滅びようとその問題が如何ともしがたくなっています。 まさにヒゼキヤ時代のイスラエルの如く、アッスリヤとエジプトの二つの

回復のダイナミズム

2015年07月26日 19:17
聖書箇所: 使徒2:14-42 主から心離れ、掛け違え重ね続けた罪を悔い改めることは、最初に主に救われた時にのみ経験することではなく、いつになっても私達にとっては恵みです。 なぜなら、この十字架にこそ、言葉に尽くせぬほどの、神の深い愛が現されてるからです。 それは主イエスが、我が罪に立ち向かい、血を流すまでに戦われた姿であり、またその愛の大きさを真に知り受け取った者達は、やがて同様に主のために、罪と血を流すまでに向き合い戦うようになります。 それは自らの罪ばかりではなく、むしろ主が愛する誰かのためであり、また滅び行くこの地を国を取りなすためであり、私達の主への愛が成熟すればするほど、主が

主の弟子として

2015年07月12日 18:59
聖書箇所: ヨハネ12章 主は私達が弟子となることを望まれます。 それはまず主の御側に置くためであり、そして遣わして神の御国を顕現し多くの魂をまたこの地を勝ち取るためです。 それは、福音書に記された弟子達が初臨のキリストの持つ神の計画を備える者達であったように、今私達に弟子となることを望むのは再臨のキリストの備えのためであり、実に私達はそのために救われクリスチャンとなったのです。 私達に与えられた恵みの時救いの日は決して私達自身が幸せに生活をするだとか、自分の満足のために生きるだとか、ただ漠然とすえられたものではありません。 主の御側に置かれた者は主の時を知り、その時に備え、また主の計画

主の真実に立つ

2015年07月05日 19:11
聖書箇所: 歴代志下26章 主は私達に偽りから離れるようにと今語られています。 何を主が偽りと言っておられるのか。 それは主のみが真実であり、主の御心、主の御言葉それ以外のものは全て偽りであるということです。 なぜなら万物はこの方の真実の上にしか存在することができない。それ以外の偽りの上に存在することができず、その偽りはやがて消えゆくものでしかありません。 しかしサタンは偽りの父であり、人はこのサタンの偽りを受け入れ罪を犯したところから、全人類に罪が入ったわけですから、私達自身が神の御心に従おうとするのではなく、そのまま自分の思いのままに生きようとするのであれば、そのこと自体が偽りの中に

勝ち取りの時に

2015年06月28日 18:52
聖書箇所: 申命記20章 十字架の上で完成された勝利の御業は主イエスを信じて救われた私達の中にすでに成し遂げられています。 十字架の御業こそ、主イエスが全世界の真ん中で成し遂げられた勝利であり、私達が救われたのはこの十字架の御業により、まさにこの十字架に私達は共につけられて、私達自身も全世界の真ん中で勝利を得ました。 実にそのようにして、主は私達を勝ち取られました。 また新天新地が完成する(黙示録21、22章)神の計画の結論たる奥義は、十字架の死と復活に私達が共にあずかることを通して、その聖霊によって私達は先行して受け取っています。 まさに私達の内にすでに死が勝利に飲み込まれているのです

恵みの時救いの日を問われる時

2015年06月14日 19:50
聖書箇所: マタイ23:35,36 神は私達を神の宮とし、永遠の都として、決して揺るがされることなく動くことのないものとしてくださると語られました。 そして主の目と心を常にそこに置くと、私達の祈りに目を開き、耳を傾けてくださると約束くださっています。 それが主の教会です。 この主の宮のあるこの永遠の都こそ、国の中心であり、この宮でささげられる祈りこそ、その国を動かす中心であるのに、私達は何を主に求めてきたのでしょうか? 今この国が滅びると主が強く警告されるようになったことに際して、私達クリスチャンそして教会がこれまで何に目を向け心を傾け、主に何を願い求めてきたのかということを問われていま

祈りに答えて

2015年06月07日 19:59
聖書箇所: マタイ26:36-38 主は私達の小さな祈りを何一つ聞き漏らすことなく、聞いていてくださいます。 そしてこの小さな国の大きな誤りを、もう滅びる他ないような現状を悲しみ、その深い胸の内を、私達のような小さい者達に表し、また主と共に祈ることをゆるしてくださいました。 主はこの小さい私達の小さな祈りを「わたしはその祈りを聞いた」と行ってくださっています。 そして、さらに主はその私達の祈りを喜ばれ、最も親しい者達に、ゲッセマネで、十字架への最もつらく大切な祈りを共に祈ることを望まれたように、私達にさらに目を覚まし続けて、ご自身の御旨を祈り続けるように語られています。 この祈りにご自身

揺れ動く地にて

2015年05月31日 19:02
聖書箇所: 詩篇21篇 主がこの全地をそして万物を統べ治める。このことは神の目的です。 主の統治は麗しく完全で、私達はこの中においては、最も幸いに生きることができるからです。 しかし逆にサタンに全地の支配を奪われた私達は、その時植え付けられた罪の性質のゆえにこの神の統治に伏すことを知りません。 むしろ自らの力で生きることしか知らない人間は、自然と神に対決する生き方を望み、自らのために生き、自らの支配を広げようと、自らを王として生きることを自然にします。 それは罪に満ち、血を流し、欲望と死に満ちた世界。 そのような中で私達は先駆けとして、主に救われ主のものとなりました。つまり主の統治の下に
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