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信仰で勝利
2016年06月12日 19:37
聖書箇所: ローマ8:31-39
神と共に歩んだ聖書の登場人物は、目に見える現実を超えて、目に見えない主のビジョンを持って、歩みを進めて行き、神の計画を成就していきました。
その目こそ、信仰によってのみ見ることをゆるされる、信仰の目、霊の目です。
それは世にある人の目、肉の目、世の基準、常識、経験で推し量る目とは全く異なるもの。
この信仰の目によって、神の見ている神のまなざしをもって、現実(逆境)を超えて、その現実の結論たる神の計画、神の御心を見て、それが如何に人の目に不可能に見えることでも、神だけを信じて勝利を勝ち取るよう、主は語ります。
もしも人の目によって歩むのであれば、むしろその
信仰を願い求める
2016年06月05日 19:44
聖書箇所: マルコ9:14ー29
主は今の時代をご覧になって「ああ、なんという不信仰な時代であろう【マルコ9:19】」と語られます。
何と多くの人々が、それはクリスチャンでさえ、偽りの内に神への信仰を覆われてしまっていることでしょう。
神は不信仰の中では御業を行うことができません。
だからこそ、主は決してこのことに妥協することなく、私達の信仰を求められるのです。
それは愛に基づく主への信頼(信仰)。
私達はこの信仰を私達の努力によって得たものではありません。主の一方的な私達への愛によって、十字架にご自身をささげ、全てを与えてくださった、その始めの愛の中に、すでに種としてそれを与えてくださ
滅びを止めるとりなし
2016年05月29日 19:41
聖書箇所: 申命記9:25
主は私達をご自身の宮とされました。それは天から地上に遣わされた私達を主が足場として、私達を通して、天がこの地に顕現し、神の天からの統治がこの地に及び、主が私達を通してこの地を勝ち取られるためです。
そして、私達はこの明確な目的のため、天からの霊によって新しく生まれた者であり、である以上私達は主がこの御業を私達を通して成し遂げられるため、一切の主の妨げとなるものを退け、主をお入れする空の器となり、真の主の宮として生きる、そのことが私達クリスチャンの本来の生きる道であると言えるのです。
ですから、主はこの空の器を通して、主の名により願い求めるのであれば、主がこの地
低き麗しき道
2016年05月28日 14:58
山から谷へと川が流れ
水が高きから低きへと流れるように
主の恵みも低き所にこそ流れる
自然の法則に定められた
主の溢るる麗しき愛は
私達を恵みへと導き
低き低き場所へ
キリストの御側へと私達を招く
キリストが生まれし
最も低き家畜小屋
キリストが歩まれし
貧しく弱く小さく罪深き者達の間
蔑まれ卑しめられた十字架の道
気づけば主の御足の跡こそ
愛と恵みの最も溢るる道
その愛の深みへと主は私を招かれる
「愛する者よ
あなたは私と
永遠(とこしえ)に共に歩む
麗しき花嫁である」と
空の器に満ち溢れる
2016年05月22日 19:32
聖書箇所: ヨシュア3:7-17
神はご自身の御業を、ご自身の選ばれた民を通して現すことを望まれました。
それはご自身の選ばれた民と共にこの地を治めるという、助け手として、キリストの花嫁として造られた者への愛の故に。
そして、私達を神ご自身をお入れする器とされた。永遠の主の宮となるために造られた者、またこの地に生み出された者、それが私達です。
しかし私達、人は罪を犯し、神との関係を破壊し、生まれながらには自らのことに生きるしか、目的や満足、喜びを持たない者となりました。
だから、私達は主をお入れする器であることを忘れ、自らの満足、欲望、自らの生活のみを満たそうと、主からすら全てを奪い、手
聖霊に満たされよ
2016年05月15日 19:26
聖書箇所: 使徒行伝1:8
今主が私達にとても真剣に強く語られていることは、神への真実な信仰です。
それは人の目に見て良く、自分の思いに良いと思われることを念頭においた信仰ではありません。
主の御思いをそのままに受け取る、決して愛の冷めていない信仰。
神の御心(御言葉)を(エジプトのパロに対したモーセのように)一つも妥協することなく、あらゆる困難をも、立場状況をも、恐れることなく貫き通す信仰。
まさにイスラエルが主の霊の導き(雲の柱、火の柱、雲)に全てをゆだねて全く主の導かれるままに歩んだ(民数記9:33-36)ように、
私達も主の御言葉に歩むため、内なる御霊に導かれて歩む(ローマ8:1
香りという感覚
2016年05月12日 15:41
嗅覚には意外と大きく人のイメージを左右するものがあるようで、その人の印象や、思い出などの記憶も、この嗅覚で感じたものが大きく影響を及ぼすのだそうです。
なるほど聖書にはこの香りがかなり重要なところで出てくるもので、祭司の幕屋での働きには欠くことはできないもの、またソロモンの時代にはこの多くの香木、香料がイスラエルに運ばれ、やはり神殿や賛美に必要な楽器の材料になったりしています。
その中で最も重要で最も印象深い場面として、マルタの妹のマリアが主イエスに注いだ香油を思わされます。
彼女の愛と感謝はこの香油で表されてきました。
そして、主イエスの葬りのために注がれた香油は彼女の持ち得る最高のささげ
永遠の望みに生きる
2016年05月08日 19:51
聖書箇所: レビ25章
聖書において再臨の日を待ち望むことに視点を置いて信仰生活を送るということは、新約聖書にのみ見ることのできる視点ではありません。
すでにモーセが預かったイスラエルへの律法の中に、本質的再臨信仰を見出すことができます。
ヨベルの年というイスラエルの民への完全な解放の年という概念は、この再臨に際して、私達が完全なる解放を得ることを啓示しているものです。
そこには
①ラッパの音と共に自由がふれ示され完全なる解放が与えられること
②私達の本来の嗣業の地である天国に戻ること
③ヨベルの年(再臨の日)から逆算して生活が営まれていること
④罪と死の奴隷となっていた私達が完全に解放
とこしえの主の住まい
2016年05月01日 19:56
聖書箇所: 1コリント3:17,18
主の御心の奥義は主が私達の内にとこしえに住まわれるということです。
まさに主のご計画が完成し、天の御国が新しい天と新しい地となり完成する時、永遠の都であり、主の宮である私達の内に主はとこしえの住まいを設けられます。
しかし、主はそのご計画を完成する前に、今すでに私達の内に新しい命、キリストの御霊、聖霊として先行して住まわれました。
そのためにご自身を十字架にかけ、私達を共に死につけて、また共によみがえらせ、私達と一つとなられのです。
主が私達の内にそれほどまでに住まいたいと願われる強い思いは、まさに十字架の上で私達にご自身の全てを与え、ご自身の全てで
ポッドキャスト更新再開
2016年04月26日 20:49
しばらく停止していたポッドキャストの更新を再開いたしました。
皆様には長らくご不便をおかけしており、申し訳ございませんでした。
今後ともよろしくお願いいたします。
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